初出勤日に40万バーツ超が消えた――バンコクの新人は、どうやって経営者の私室へ?

「今日からよろしくお願いします」。そんな挨拶をしたはずの新人が、その日のうちに消えた。しかも、雇用主の40万バーツ超相当の貴重品も一緒に――。

2026年10月5日、タイ・バンコクの中華街として知られるヤワラート通り周辺のオフィスで、37歳の男性従業員が初出勤日に雇用主の私室から貴重品を盗んだ疑いが浮上した。翌6日、女性雇用主がチャクラワット警察署へ被害を届け出ている。

事件の妙は「従業員が盗んだ」ことではない。「初日」である。

面接は10月1日、事件は初出勤日の10月5日

報道によれば、女性雇用主はインターネット上で従業員を募集し、応募してきた男性と10月1日に面接した。その際、特に不審なところは感じなかったという。

そして10月5日が初勤務。午後2時ごろ、建物2階にある雇用主の「private room(私室)」から、総額40万バーツを超える貴重品を持ち去った疑いがある。防犯カメラにも男性の姿が残っていたとされ、雇用主は逮捕につながる情報に2万バーツの報奨金を提示した。10月7日の報道時点では、男性はまだ拘束されていなかった。

ここで注意したい。報道では「40万バーツの現金」ではない。盗まれた具体的な品物は明らかにされておらず、「40万バーツ超相当の貴重品」とされている。また会社名や、男性が何の仕事で採用されたのかも公表されていない。


1階の仕事場と2階の雇用主の私室を描いたバンコクの小規模オフィスのイメージ
AI生成によるイメージです。実際の事件現場や人物、建物を再現したものではありません。

「タイだから身元確認が適当」……ではなかった

こういう事件を見ると、日本からはつい「まあタイだし、マイペンライで採用したんじゃないの?」と言いたくなる。

ところが調べてみると、話はそんなに単純ではない。

タイには、就職などに使える犯罪歴確認制度がきちんと存在する。しかも2026年7月15日から、タイ王国警察の犯罪歴登録部門が、氏名・国民ID番号を使ったオンライン犯罪歴確認サービスを開始したばかりだった。

タイ政府広報局も、この制度について「就職応募や各種手続きで犯罪歴確認書を必要とする人」の利用を明記している。ThaiDまたは身分証裏面のLaser Codeで本人確認し、オンラインで申請・支払いを行い、結果を電子メールで受け取ることもできる。つまり事件の約3カ月前には、むしろ以前より使いやすくなっていた。

もっとも、今回の雇用主がこの確認を求めたかどうかは報じられていない。したがって、「身元確認を怠ったから事件が起きた」と断定することもできない。


スマートフォンと履歴書、身分証風カードを使ったタイの採用時身元確認のイメージ
AI生成による制度解説用イメージです。ThaiDやタイ王国警察など、実在するサービスの画面・身分証・人物を再現したものではありません。

しかも犯罪歴は、勝手に覗いていい情報ではない

タイの個人情報保護法、いわゆるPDPAでは、犯罪歴は健康情報や生体情報などと同じくセンシティブな個人情報として扱われる。公的なオンライン確認サービスも本人確認を前提としている。

つまり「会社なんだから応募者の犯罪歴を片っ端から調べればいい」という話でもない。

さらに、仮に採用前に犯罪歴を確認して「問題なし」だったとしても、まだ犯罪歴のない人間が明日何をするかまでは分からない。身元確認は安全装置の一つではあっても、未来予知装置ではないのである。

本当に引っかかるのは、なぜ初日に私室まで行けたのか

この事件で『地球のB面』が一番気になるのは、むしろこちらだ。

採用されたばかりの人間が、なぜ初日の午後2時には、雇用主の私室にある40万バーツ超相当の財物へ接触できる状況になったのか。

ただし、ここも想像で補ってはいけない。男性の仕事上、2階へ入る必要があったのか。私室は施錠されていたのか。勝手に侵入したのか。雇用主自身が案内したのか。現在の報道では分からない。


雇用主の私室から貴重品を持ち出す状況を一般化して描いたイメージ
AI生成によるイメージです。実際の事件現場・人物・盗品を再現したものではありません。盗まれた品物の具体的な内訳は公表されておらず、画像内の現金・時計・装飾品などは説明用の架空表現です。

だから「タイ企業は管理が甘い」と決めつける材料にもならない。

それでも今回の事件は、採用時に人をどこまで調べるか以上に、「入社したばかりの人間を、どこまで入れて、何に触れさせるか」というアクセス管理の方が現実的な防犯になることを示している。

これは日本の小さな会社や家族経営の店でも、まったく他人事ではない。

法律まで「マイペンライ」ではない

タイ刑法335条には、雇用主の所有物、または雇用主が占有している財物を従業員が盗む場合を加重された窃盗として扱う規定があり、該当すれば1年以上5年以下の拘禁刑と2万~10万バーツの罰金が規定されている。

ただし今回、警察が最終的にどの罪名を適用するかは別問題である。盗品の所有・管理状況などによって法的評価は変わるため、現段階で「刑法335条違反」と決めつけることはできない。

つまりこの事件、表面だけを見ると「タイらしい珍事件」で済みそうだが、掘ってみると少し違う。

採用制度がなかったわけではない。犯罪歴を確認する仕組みもある。それでも、人を採用した瞬間から発生する「信用」と「アクセス」の隙間までは、制度だけでは埋められない。

B面メーター
地球のB面・編集部判定
B面度
★★★★★
マヌケ度
★★★★★
社会的深刻度
★★☆☆☆

【編集者が思うこと】

こういうニュースを見ると、最初は俺も「またタイか。マイペンライだなあ」で終わりそうになるんだよ。

でも調べると、犯罪歴確認はちゃんとあるし、しかも今年オンライン化までしてる。そこは思っていたよりずっと真面目だった。

それより俺が引っかかるのは、初日の人が午後2時には雇用主の私室へ入り、そこで盗難が起きたとされているところなんだよな。もちろん、どうやって入ったのかは分からない。だから雇用主を責めるつもりもない。

ただ、人を見る目より「信用しても盗めない仕組み」の方が強い。これはタイのマイペンライ問題じゃなくて、日本の小さな会社や店にも普通にありそうな話だと思う。

面接で「この人、悪そうだな」と分かる泥棒ばかりなら、世の中ずいぶん楽なんだけどね。

参考資料